蒼夏の螺旋 ハッピーなチョコはいかが?



 そもそもはキリスト教のお祭りで。昔むかしのどこかの国で、戦争中だからだったのか、それとも単なる綱紀粛正か、兵士たちの結婚を禁じた法律が発布されたのへ。国が決めた法よりも愛の方が大切だからと、望まれれば応じて結婚式を挙げてあげてた神父様がいらっしゃり。当然、国の決めたことへと真っ向から逆らってた訳ですから、程なくして逮捕され、しかも処刑されてしまわれた。その人がバレンタインさんといい、後にキリスト教に殉じた“聖人”とされたのだそうで。それからそれから、彼が亡くなった日は、人を愛する気持ちを大切にしましょうねと、恋人や家族への愛を確かめ合い、お花や贈り物をする日となった。
「本場の欧米では、薔薇の花がどんと値上がりする日だっていうから、行事としては結構メジャーなものらしいけれど。」
「必ずチョコレートがついて回るのは、日本くらいのもの…だってか?」
 バレンタインデー自体が全く知られていなかった日本で、某チョコレート会社がキャンペーン・イベントとして打ち出したのが“チョコを添えての告白を”。まだまだ何かにつけて主導権は男性側にあったけれど、恋愛という甘酸っぱいものに関心が高いのはむしろ女性の方かもで。甘くてちょっぴりほろ苦い、いつだって女性たちの味方のチョコレートが、あなたの勇気の後押しをしますよと、バレンタインデーっていうのはそういう日ですよとキャンペーンを張ったところ。最初はなかなか覚えてもらえなかったものが、時代を追うごとに高まっていった生活レベルの向上と、ついでと言っちゃあ失礼ながら、女性たちの意識向上にも合わせてのことか、全国的にじわじわと広がっていって…気がつけば。
「扱うチョコの年間売上の3分の2が、ここで消費されるって会社もザラだっていうからな。」
「そりゃあ真剣にもなるよねぇ。」
 義理チョコどころか、ここ数年は…女友達へ贈る“友チョコ”だとか、この時期にしか買えないのがあるからと自分への“MYチョコ”をという女性も増えて。近年の消費者側には取っ付きやすい遊び半分というカラーが濃くなりつつり、それをもってしてもなかなか廃れはしなかろう、しっかと根付いて安泰のイベントであろうにね。企業の方ではいつでも真剣本気の真っ向勝負。どんなに安全牌な代物だとて、油断は禁物…という訳でなのか、
「それで、応援に立つことになったって?」
「まぁな。」
 急なメールが朝イチで届き、某デパートのバレンタインデー企画の応援にと、急遽駆り出されることとなったらしき旦那様へ、

  「ふ〜ん…。」

 小さな奥方、ラズベリージャムをたっぷり乗っけたトーストを齧りながら、少々複雑そうなお顔をして見せた。真っ黒な髪がぽさぽさと、まとまりが悪いのはいつものこと。寝坊したからテンションが低いとか、そういう訳ではないのだけれど。フリースのパジャマを着たその肘を、テーブルの端っこへつくという、お行儀の悪さのオマケつきだったものだから、
「…どしたよ。」
 目ぼけまなこという風情でもなし、なのにしゃきっとしないなんてと。テーブルの向かい側から、アイロンのラインもぴしっと入ったワイシャツの、長い腕を伸ばして来た旦那様。下手くそに塗った口紅がはみ出したみたいに、お口の傍にくっついていた真っ赤なジャム。指先で拭ってやれば、そこへとパックリ喰いついて来るのは…いつもと同じ調子であったものの、(おいおい)
「だってさ。売り場にも出るんでしょ? 今年の流行とか、担当ブースのお店のお薦めとかもきっちり頭に把握して。」
「まあな。」
 直接の販売にあたるのはさすがに、それぞれの業者やお店から派遣された、担当者やチョコラシエさんといった専門の方々なのだろうけど。お客様の側からは、誰が何やらなんて細かい割り振りはなかなか判りはしなかろうからね。いかにもな作業服で段ボール箱単位の“商品”の搬入だけを手掛けているならともかくも、一応は売り場に立って、恋愛成就祈願のイベントへのフォローだとか、地方発送の受付やらをお手伝いするというのなら。はたまた、何だったら商品の包装までしちゃうかもというよな立場の人だったなら。お客様の方だって、ああこの人なら商品にも詳しいはずだと、質問とか相談だとか、差し向けて来るやもしれない。そしてそして、そのくらいはゾロだって想定のうちだろうから。せめて自分の担当するブースのコンセプトとか商品くらいは知ってなきゃって、突貫ながらもきっちりお勉強して臨むに決まってる。
「そんなされたら、こっちの手の内が判っちゃうじゃんか。」
「…おや。」
 はい。奥方もまた、恋する気持ちに忠実にと、今年もチョコレートとかプレゼントとか、考え中の身だからこそ。そんな立場の人を迎え撃つよな、何でまたそういう売り場に立ってくれるかな、この人はと、そういう方向でご機嫌が傾
かしいでおいでであったらしく。

  「それに…。」

 そう、それに。あのバレンタインデー特設のチョコレート売り場の空気には、本命さんがまだ居ないって人だって、何だか心弾まされるものだそうだから。きっと売り場は華やいだ空気が一杯で。頬をばら色に染めた女の子たちが、それは幸せそうに楽しそうにショーウィンドウを覗き込む姿が間近になるなんて、
「そんなのきっと、例外なく可愛いに決まってるじゃんか。」
「…る〜ふぃ〜。」
 ぼそぼそと心なしか口ごもりながら、フォントが下がるほどの小声でぽつり。恋する乙女たちが特設会場一杯にあふれる現場へ出向いて、夢見るようなお顔の彼女らを眺めることとなる旦那様なのへも、何だか不満がお在りの奥方であるらしく。
“だってさ。”
 ゾロはいつまでたってもカッコいいから。切れ長の瞳を据えた目許の涼しさと、寡黙そうでいかにも男臭い精悍さとが同居する、折り目正しくも潔さに満ちたその風情は、何とも言えぬ男らしさを感じさせて凛々しいばかりだし。かっちりとしたワイシャツ姿の今なんて、明るい陽射しをその広い肩や胸板に躍らせつつ、いかにも“デキる男ですっ”ていう頼もしさに満ちてるし。そうかと思えば、この頃では随分と。人懐っこいというのか、人当たりがよくなったとでも言うものか。これもまた人柄へと深みが出来てのこと、誠実さを前面に匂わせての“May I help you?”が自然体でこなせるようになったと、会社の方でも評判だそうで。
“ゾロの専門は企画のお仕事だってのに、考えたり采配振るったりの方だけでなく、現場に立つ方へも引っ張りだこだって、kinakoちゃんから聞いたしなぁ。”
 ゾロとはデスクがお向かいさんのカオルちゃんも、担当企業の販売や営業のお姉様たちから凄い人気みたいだよなんて、メールで知らせてくれてたしね。

  「………。」

 恋する女性の魅力は知ってる。期待と情熱に弾けんばかり、そりゃあ溌剌としていて綺麗になれちゃう。たとえ自信がなくたって、その儚さとか健気さは、やっぱり綺麗で可憐だからね。まさかまさかゾロが誰ぞによろめくとまでは、さすがに思ってはいないけど。ああ可愛いもんだななんて微笑ましく思うには違いなく。
“…俺って欲張りだよな。”
 可愛いものを素直に可愛いなって思う、感受性の豊かな人になってくれるのは、とっても“良いこと”に違いないのにね。乙女心に頓着しない、つれなくて冷たいゾロなんて、こっちまで何だか胸がズキンってしちゃうと思うのに。でもでもやっぱり、自分じゃない子を、可愛いとか健気だとか、そうと思っての優しい眼差しなんかで、見つめないでほしいというのも、本心からの正直なところだし。そんな我儘な自分へも“ふ〜ぅ”なんて溜息をついてたら、

  「ルフィ。」

 いつの間に立って来ていたやら。すぐ間際に立ってたゾロが、座っていたルフィの真横で視線を合わせるように上体を倒して来、
「…え?」
 そりゃあ素早い、まさに一瞬だったから。何が何やらと呆然としてた間に、

   ――― あ。////////

 短い、けれど柔らかくて暖かい、やさしい“ちう”が降って来た。
「………眸くらい瞑れ。」
「ば…ばかっ!////////
 咄嗟すぎたからだろがと、あたふたしつつも真っ赤になったルフィを、クスクスと小さく微笑いながら見やるお顔は、まだすぐ間近にあって。…それでね?

  「何をどう怒っているのかは知らないが、
   それが焼き餅なんだったら、とんだお門違いだぞ?」

 そうと告げたその途端、ばつが悪そうなお顔になって、ちょいと口許が尖るのは。言われたそのままの図星であったからだろか。自分を放っぽっといて、よその可憐なお花へ視線を向けやしないかと。まだ起きてもないことへ、こんな風にやきもきするよになったとは。
“喜んでる場合じゃないってのは重々判るんだが…。”
 それでも正直、ちょっとは嬉しいことなのかも。焼き餅を焼くってことは、そんなにも独占欲が戻って来たルフィだってことだからに他ならず。何かに怯えていては出来ない、これも立派な自己主張だから。小さい頃はただただやんちゃで、そりゃあ明るい天真爛漫な子だったルフィ。それが…ちょっぴり怖い孤独を味わった余波からか、どこかで臆病な彼となってしまって。それでなくとも朴念仁な自分は、そんな彼をいつだって、怖がらせてばかりいたからね。
「ルフィ。」
 こつんとくっつけた、おでことおでこ。間近になった愛しい眼差し。あたりを満たす明るい陽光が吸い込まれてのこと、その大きな瞳の虹彩が琥珀色に透けていて、何とも綺麗で見とれてしまう。


  「…あんな、ゾロ。」
  「んん?」
  「焼き餅焼くような奴は嫌い?」
  「ルフィがすることなら、そうでもないかな。」
  「………馬鹿。///////


 何て気障な言いようを、サラッと口にするようになった旦那様なのやらで。企画のお仕事ってのはまったくもうもうと、憤慨しての真っ赤っかになったままな小さな奥方へ、何を照れているのかなぁと、楽しそうにお顔を覗き込んでるまんまのご亭主だったりするのだが………。良いのか、そんなのんびりしていて。とっとと戦場へ行かないと。甘くておいしいチョコのあふれる、特設会場がお待ちかね。山ほど押し寄せる“愛の戦士たち”を、こちらもスモークピンクやハニーブラウンの包装紙とおリボンを手に、迎え撃たねばならない旦那様。ゾロのお薦めチョコで幾つも恋が成就すると良いねなんて、結局はご機嫌が直った奥方に見送られ、久々に晴れた暖かい日和の二月の朝へと、飛び出してった旦那様だったりしたそうな。



    Happy St.Valentine day !






  〜Fine〜  06.2.13.

  *相も変わらず、ラブラブな方々の今頃をウォッチングの巻でございましてvv
   毎年毎年、性懲りもないというか、これもまた惚気の一種ということか。
   この後、奥方、どこぞのお母様へと、
   “こんなこと言ったんだよゾロったら”なんて、
   要らぬご報告をするやも知れませんねvv(くすすvv

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